愛馬を亡くして “ペットロス” に
2007年の11月のある日を、私は忘れることができません。
たった6歳と6ヶ月と6日で、
愛する自分の馬が、
私の目の前で膝から崩れるように倒れ、
この世から旅立った日だからです。
ほんの1時間前には
彼女、マーサというまだ若い可愛らしい漆黒の馬の前で
「来年の競技会にはこんな競技に出ることにしよう」
「その時はここにできたコブを綺麗にしてあげた方がいいかな」
などとトレーナーさんと話していたのに、
今、マーサは私の膝の上に重い大きな頭を乗せ、
馬房の中で目を閉じて横たわっている。
呼吸の音も聞こえなければ、
心臓の拍動も胸の上下も何も、なんの動きもない。
なぜ?
何が起こったのか?
まず目の前で起こったことを現実として受け止め、
理解することから始めなければならないくらい
マーサとの別れは突然すぎて、
そしてその後の私に長い間に渡って “ペットロス” と言われる状態をもたらすことになったのです。
身近な人と共有できない。二重の「悲しみ」
ペットと呼ぶには大きすぎる愛馬を亡くし、
彼女の亡骸を山梨の馬房に残したまま、
その日、東京の自宅に帰るのはとても遅い時間になりました。
帰宅して家族にマーサのことを話すも、
家族は誰も彼女に直接会ったことがなく、
私のあまりの悲嘆にくれた姿を見ても、
「なぜそれほど悲しむのか?」
といった反応。
私の悲しさは、
そのままのボリュームで誰かに共有してもらえることもなく
気持ちのやり場がないままに
この大きな悲しい経験を
自分だけで受け止めることから始めなければなりませんでした。
大切な存在を失った悲しみとともに
誰にも「理解してもらえない」という傷を抱える。
二重の悲しみ。
この私のペットロスは、
その後すこしずつ、
でも行きつ戻りつしながら、
約3年強程度のときを要して癒えていくことになります。
心の状態は右上がりの直線では回復しない
お風呂掃除をしていれば、気づくと泣いていたり
電車にぼーっと揺られていれば、気づくと泣いていたり、
部屋の電気をつけないまま、気づくと真っ暗な中で数時間過ごしていたり。
マーサを亡くした悲しみと、
周囲の誰にも理解してもらえないという失望感、
こんなことでいつまでも悲しむのはおかしいのではないか?と
自分を責めること。
ずっとそうしたことの繰り返し。
もう大丈夫だ、と自分で感じていても
何かの拍子にふと涙が流れるような経験を繰り返し、
ああ、まだ何も癒えていないのだと改めて感じ、
そしてまた時間が流れていくのを待つという繰り返しでした。
心の傷は、右肩上がりの直線で回復するわけではありません。
寄せては返す波のように、
昨日より元気になっていたり、落ち込んだり。
そんな状況を自覚して、またさらに落ち込むこともあります。
あれこれ思い出す辛さから逃れたくて
すっかり忘れたいと思う日があるのに、
いざ亡くした “大切な命” のことを思い出さない日があったら
今度はそんな自分は冷たいのではないかと思ったり。
今なら、
まだこの心理的な状況を冷静に見つめる方法や
時間が必要だということを
私は知っているはずですが、
あの時は違ったのです。
こんな自分の身に起こった出来事をきっかけとして
ペットロスという
非常に悲しくて、
ある意味で非常に厄介な心の状態に
興味を持つことになりました。 (つづく)
ペットロスについて症状や解決策のヒントはこちらから(coming soon)